明徳二年(一三九一)創建
六三〇余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です
明徳2年(1391)創建
630余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です

今月は、フランスの代表的な印象派の画家・ルノワール(1841〜1919)が晩年に語った言葉です。この言葉は、単に「長い年月をかけて絵の技術を身につけた」という意味ではないと思われます。むしろ、50年以上も絵と向き合い続けた末に、初めて芸術というものの深さと、自分自身の限界に気づいた言葉として味わうことができます。
仏教では、私たちは物事を自分の思いや知識によって理解したつもりになりやすい存在だと説きます。しかし、仏道の歩みとは、知識を増やして「分かった人」になることだけではありません。むしろ、自分の見方や思い込みがいかに限られたものであったかに気づいていく歩みです。
浄土真宗本願寺派の第8代宗主・蓮如上人の「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり」という言葉も、同じようなことを表しています。「自分は分かった」と思った瞬間、そこには自分の理解に執着する心が生まれます。本当に深く心得た人は、分かったことを誇るのではなく、まだ見えていないものが無限にあることを知るのです。
これは仏教でいう「智慧」にも通じます。智慧とは、単なる知識や情報の量を意味する「知恵」ではありません。自分中心の見方を離れ、物事をありのままに見る力です。そのため、智慧を得た人ほど、自分の小ささや不完全さを知らされ、謙虚になっていきます。
ルノワールが「ようやく判りはじめた」と語った姿も、まさにそのような境地ではないでしょうか。長い修練の果てに到達したのは、「自分は絵を理解した」という自信ではなく、「絵という世界は自分の理解を超えている」という気づきでした。仏教では、悟りとは何かを所有することではなく、執着を離れ、真実の前に自分を開いていくことです。
ルノワールの言葉は、芸術の道を通して、人間が本当に学ぶとはどういうことかを示しています。長い歩みの末に訪れるのは完成ではなく、自らの限界を知ることによって開かれる、新たな世界なのかもしれません。
合掌
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第30世住職 四夷 法顕
1985年生まれ
信行寺住職
龍谷大学講師
相愛大学講師
NHK文化センター講師
毎日文化センター講師
浄土真宗本願寺派宗学院研究員
本願寺派布教使
文学博士


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